自分の居酒屋で腕をふるう調理師

川岸 正則さん

岸川 正則さん 「春夏冬」自営 (2001年3月卒)
【プロフィール】
学生時代から行動派。だがそれは自分の夢を探し、確かめるための助走であった。料理と店の経営という将来を見定めた上で、関西調理師学校へ入学して基礎を学んだ。念願の開店から豪放さと繊細さを兼ね備えたキャラクターでファンを増やしている。

■料理への道を決めてから徹底的に基礎を学ぶ

まず大阪市内の居酒屋で働き出した。そのマスターが良い人で、マネジメントについてもよく教えてくれた。働きながら、だんだん自分の店のイメージが固まってきた。しかし、店の仕事の現場では、目の前の作業に追われるばかりで、じっくり技術を覚えたり教えてもらったりする余裕がない。そこで昼間の時間を使って関西調理師学校へ通い、料理の基礎を覚える事にした。「普通なら調理の世界に入るには遅い年齢でした。それから5年も10年も修行している時間も気力もないし、一気に必要なもの(技術)を手に入れたかった。」やりたい方向が和風の創作料理だったから、学校ではいろいろな分野の料理の基礎技術を学ぶことは、大いに役に立ったと岸川さんは言う。「この学校は費用が安いことも、働きながら学ぶ身には魅力でした。プロがじっくり時間をかけて料理を教えてくれるなんて、仕事の現場ではありえないことですしね。店作りに欠かせない、経営ノウハウの基礎も学べました」。

独立を夢見てホテル直営レストランで腕を磨く調理師

今泉 力也さん ホテルグランヴィア大阪 (2005年3月卒)
【プロフィール】
いったんは大学の工学部を卒業して、設備関係の会社で働き、26歳であらためて調理師への道をめざした。幅広い年齢層の人が集まり、少人数で学ぶ関西調理師学校での1年は、必要なことをじっくりと学べ、学校の雰囲気ものびのびとしていた。先生方との距離が近く、何でも質問できたため、思い切った転身に手ごたえと勇気を与えてくれたという。いま30代での独立出店をめざして修行中。

■“小さな学校”の親しみやすさが学びへの力になった

今泉さんの新しい学びの出発点になった関西調理師学校は、“小さな学校”の理想を貫いている。「確かに、小さな学校のよさが、ずっと1年間の体験の背後にあって、それに支えられたように思います。小規模とはいえ、幅広い年齢の人が学んでいました。僕よりずっと上の、親のような歳の方もいましたし、皆それぞれ違った経歴の持ち主でした。息子の店を手伝いたいという主婦の方もいました。だから誰とも親しみやすく、僕も26歳で入って何の気兼ねもなく学べました。校長をはじめ先生たちもとても気さくで質問しやすかったです。高卒で入学して来た人たちも、そんな雰囲気の中で、年上の人とも気軽に話し合える小さな社会体験を出来て、それがきっとプラスになると思います。専門分野やマナーの実践的な研修もでき、授業の資料が今になって役立ったりもしています。」。卒業とともに調理師免許証とふぐ取扱登録者証を取得した今泉さん。そこから先は、「30代で自分の店をもちたい」という夢に向かって、まっすぐな道を歩んでいる。

いろんな料理をマスターして将来は自分で小さなお店を!

中川 沙織さん 新・都ホテルバイキングレストラン「プレジール」 (2007年3月卒)
【プロフィール】
新・都ホテル(京都)のバイキングレストラン「プレジール」勤務。入ってすぐ実際の料理をいろいろ担当している。外大卒業後いったん就職し、“料理”への夢を実現するためあらためて関西調理師学校調理師科へ入学した。

■今の仕事との出会い・きっかけ

私は女子高校から外大に進みました。その時、居酒屋でアルバイトをしたことが、料理の世界に目を開かせてくれました。卒業後、いったん語学が活かせる職場に就職したのですが、料理人になる夢は断ちがたく、お金を貯めて関西調理師学校へ入学。同校に決めたのは、学費がリーズナブルだったのと、説明会に行ったとき、小さいけれどとても温かい雰囲気で先生方も親しみやすく、とてもハートウォーミングな学校だなと感じたから。毎日、勉強の日々が続きましたが、学生生活をもう一度楽しめたような気がしますね。同級生には、60歳以上のおじいちゃんもいて刺激をうけました。当時の飲み会は、いまも2カ月に1度のペースで続いています。


先輩・在校生の声 履歴一覧


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